目立たないところで目立ちたい目立ちたがり屋
今日、「ハラさんは、(仕事の)どんなところが楽しいですか?」というような質問を受けて、「大なり小なり、日常の中で数多くの決断があって、その決断エネルギーを放出していく感覚…」というような返答をしました。デザインだったり、ディレクションだったり、雑用だったり、電話やメールだったり、内容の質量とか好き嫌いにかかわらず、この行為は自分を向上させてくれるものばかりであり、精神的満足度が高いのです。Webでなくてもいいけど、いまWebに取って代わるものはない。このブログでもよくでる「アウトプット」もその一つですが、その行為が、相手の記憶に刻まれるのであれば、これ本望。
先日お義姉さんが中学時代の同窓会に行って、その担任の先生が僕のことをよく覚えてくれているという話を聞きました(お義姉さんが卒業した春に入れ替わりで私が入学し、担任になったので覚えてる確率はそもそも高いのですけど)。思い返せば私もちょっと変わり者だったのか、入学直後からクラスに配布するための自主的な新聞を作って何十号も配り続けたり(おかげで新聞委員長になりました)、文化祭で教室中に空き缶をしきつめて(ここまでは文化祭のクラス企画)、裏に巨大な絵を描いたり(隣のクラスで当時面識がなかった現・妻は、それ”絵ではなく手段”を見て将来を見抜いたらしい。…怖いよっ!)、もっと遡ると小学校のときも担任の先生をキャラクター化し(当時ビックリマンシールが全盛でしたね)、新聞を作っていました。今でもそうですが、人前など目立つところで目立つのは嫌いで、目立たないところで目立ちたい目立ちたがり屋なんです。
話が長くなりましたが、覚えていてくれて嬉しかったということを言いたかったのです。
まだまだ、クリエイターとしては小粒もいいとこですが、小粒をコツコツ続けて集めることが誰かの記憶にとどまるのであれば、それはそれでいいなと思っております。