時代考証
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の33話「嫌われ政次の一生」の再放送を見て再び号泣。いろいろツボがあるのですが、「史実」という観点でいうと井伊と小野は対立していたという史実前提で見ていたので、最近は対立どころか仲いいなぁと思っていたらのこの展開。結局は史実どおりで、二人のことは二人にしかわからないという脚本が見事でした。
歴史に関する本などを読んでいると、大河ドラマのオープニングのクレジットに出てくる時代考証の人物があの本の著者だ、とか気づくこともあり、時代考証に少し関心がありました。そもそも時代劇は少なからずフィクションが含まれていることは当然だし、突飛もないストーリーもたくさんあるわけで、そこに時代考証がどんな役割を果たしているのかは気になります。そんななか新刊で出てきた『時代劇の「嘘」と「演出」』を読了。
時代劇をみて、「時代考証がなってない」という批判はもちろん無意味ではない。しかし、史実を押さえて時代考証をしっかりやれば、面白い作品ができるかと言えば、そんなことはない。真実を追究する歴史学は犯すことのできない固有の価値を持つし、歴史を扱うフィクションにも、エンターテインメントを追求する絶対の自由がある。ならば、その両者が交差する地点にこそ、時代劇の理想の姿があるのではないか。本書は、時代考証という「視点」から時代劇を眺め時代劇とは何か、なぜ日本人は時代劇を愛してきたのか、これからも時代劇は続くのか、そんな問いかけにこたえるヒントを探る。
エンターテイメントを追求し面白いものを作りたいと思うクリエイターと、真実を追求しより正確さを求める時代考証の価値観が交差し、嘘と真実がせめぎあう。演出によってはは時代考証を担当した学者らが不名誉な評価を得てしまうこともあるそうです。それぞれの立場の人の想い・苦労などが多くの事例(大河ドラマ、時代劇から仮面ライダー、戦隊ヒーローものまで)で紹介されていて、なかなか面白かったです。