NoteWebディレクター・ハラヒロシのブログ

Uターンを振り返る

ナガラボ(フリーペーパー)の特集「「Uターン Iターンした人たち – 長野を選んでよかった」での自分の紹介記事を読んで、あらためてUターンまでの足跡(須坂市 ⇒ 神奈川県茅ケ崎市(大学1~3年時) ⇒ 東京都渋谷区(大学4年時) ⇒ 須坂市 ⇒ 長野市)を思い出してみた。
デザイナーとしてのはじめの一歩は茅ヶ崎時代で、大学3年時に半年ほどDTPの会社でアルバイト。大学4年の春に東京で仕事をしようと決意し渋谷区(西新宿の裏手)へ引っ越します。ADARTSさんというとても素敵なデザイン会社に正社員(扱い)で入社するという人生最大のミラクルを起こしますが、あまりに仕事ができないのと東京がしんどくなったなどの理由で、わずか3ヶ月ほどで辞めました。苦い思い出のほうが多く、20年近くたった今でも事務所のある半蔵門と毎日お使いに出ていた恵比寿あたりに近づくたび、当時聞いていた哀愁たっぷりの音楽が勝手に流れます(ちなみにClockwiseという北欧メタルバンドの名盤「北欧のノスタルジア」)。それでもこのときお世話になった皆さんは顔も名前もはっきりと覚えてます。また機会があればお会いしたい…。この仕事とか必死でアシスタントしていて、ほんと懐かしい。
そしてここを辞めたタイミングでエルの面接を受けてます。きっかけはタウンページというテキトー世渡り術
その後、卒業までの数ヶ月は新宿の制作会社で再びアルバイト生活。ほとんど何もできない自分が、おなじくほとんど何もできないけどちょっと後に入ってきた年上二人の上に立つという無謀な環境で泣きながら仕事してました。なんだかめちゃくちゃな東京生活で、それでも無我夢中で仕事をしていたので思い出深いです。
そして結論は、「Uターンしてよかった」です。