ここにないもの
『ここにないもの – 新哲学対話』を読了。もともとツイッターでの以下のやりとりがきっかけで手に取った本。
『思考と行動における言語』S.I.ハヤカワ
『ここにないもの』野矢茂樹ぼくとハラさんの趣味が双曲線のように交わらないことが如実に現れた二冊ですね。笑
ぼくは昔も今も自分の「気分」に一番興味がある。
プレゼント、いいですね。たぶんハラさんが読んだら、ハラさんの発見が多い本だと思いますー— 稲田英資(JBN/Web戦略策定・ヒアリング) (@inada_h) October 31, 2019
哲学の本らしいけど、どうやら「ことば」という点でこの2冊は共通点がありそうだ。無性にその世界が知りたくなり、読み始めたところ…。どうも自分にはなじまない文章だ…。ところが読み進めていくうちにいろんな「ことば」が引っかかって、もう一度少し戻りながら読む。余計気になって、同じ章をもう一度読み直す。この本を一冊読み切るのに、一章ごと2~3回読みながら進めるという、自分のこれまでに全くない読書体験。
というかですね、、すごい本に出会ってしまいましたね。
ことばなら、新しい可能性との出会いに満ちている。これまで新しいことばをひとつひとつ学んできた。それは、新しい考えがそこから開けるときでもあったはずだ。
新たな可能性のもとに、新しいことばで、これまでの自分の手持ちのピースが新しい絵柄のうちに収まっていく。思ってもみなかった絵柄のうちに。うまくはまれば、気持ちがいい。
「ことばで言い表せないものってのは、ぜったいことばで言い表せないってわけじゃない。ことばがあるからこそ、そのちょっと先に見えてくる」
「追いかけっこだね」
語りえないものと語りうるものと、きっちり二つに分かれるんじゃなくて、何かことばで言い表すと、そこには何か言い表しきれないもどかしさみたいなのが付きまとうことがある
未来は<ある>のではなくて、<なる>。そう言ってもいいかもしれない。そこにある未来がそのときになれば分かるというのではなくて、未来はない。ないものが生まれてくる。
時間の眺めは現在を中心にして、その四方八方が過去で埋まっている。それが、その時間的眺めが、そっくりまるごと新しくなっていく。ゼロから生み出されてくる。それが未来ってやつなのだ。
面白い、面白い。
推薦してくれた稲田さんのnoteを読み返す。
ぼくはそのもどかしさの中に手触りを得る。
それこそがぼくが獲得した世界だからだ。
まさにこの一文に刺さりまくる。
ことばで考えることで、つぎのことばで表そうと、手探りのうちに、いろんな意味を造形しながら前に進んでいく。
一生モノのことばを手に入れたと思います。