NoteWebディレクター・ハラヒロシのブログ

解像度と、焦点

url あのひとはなぜ「ネタ切れ」しないのか?――世界を見つめる解像度
ネタ切れするどころか、自分の得意なことを高いレベルでひたすら続けている人って、ほんとうにすごいと思います。
以下引用。

ひとはみんな、朝起きたり、ご飯を食べたり、ニュースを見たり、仕事をしたり、人とあったり、本を読んだり、恋をしたり、寝たりしています。だいたいみんな同じです。となると、アウトプットの違いは、世界のほうではなく、世界を見つめる「目」のほうが違うと考えるほうが自然です。
つまり、彼らは、世界を見つめる目の「解像度」が違うのではないでしょうか。解像度が高いカメラを使うと世界がよりくっきり写りますが、彼らの目はぼくらよりもずっと細かく世界をとらえています。同じ物を見ていても、見えているものがぜんぜん違うのです。

結論から言うと、まずは「書く」ことではないかと思います。アウトプットするようになると、世界を「より細かく見ざるを得なく」なります。そうしないと書くことがなくて困りますから。

今回のテーマ「世界を見つめる解像度」というのは、「観察力」という言葉に置き換えられます。コラムを書く人は観察力を外の世界に向けるといいし、エッセイを書く人は自分の内面に向けるといいし、物語を書く人は外の世界と内面の両方に観察力を向けてるといいと思います。書く場所は、ブログでもなんでもかまいません、大事なのはそれを続けることです。

自分も一応、毎日ブログ書いているので「より細かく見ざるを得なく」なる感覚はあるんですが、根本的に観察力が足りなくて、関心のあるもの以外のことに対してはボーっとスルーしていると自覚しているので、まだまだインプットの範囲が狭くて「書くことがなくて困る」というレベルです…。
「世界を捉える解像度を上げる」という表現はよいヒントになりそう。

毎日絶対的ポジションにある、寝床での自分の頭とiPhone、そして枕の位置関係。
朝、目覚ましが鳴ってそのままiPhoneいじりながら起きるのですが、その視界に100%入る枕の片隅に、「39473」と書かれたタグがあるのに今日はじめて気づきました。視界には入っているけど焦点が一度も合わなかったんだな。解像度も大事だけど、焦点も意識しないとな…、なんて思った一場面。